
子宮がなくなったら女性ではない?

出産時のトラブルで
子宮を全摘出しなければならなかった
ママとお話する機会がありました。
3人目の出産なので
もう妊娠は考えていないとのことでしたが
それでもやっぱり・・・
精神世界、スピリチャルな世界観を
崇拝するつもりはなくとも
いざ、『女の象徴』と言われる子宮を失うとなれば、
尊い命を育んでくれた感謝ととともに
なんともいえない罪悪感、喪失感が襲ってきたそうです。
いろんな気持ちと葛藤しているときに
ある人から
「じゃあもう女じゃなくなったんだね」
と言われ、愕然としたそうです。
もちろんさまざまな価値観があるので
なかには
子宮取ったらすっきりするよ?
ガンのリスクもなくなるし、
月経もなくなるし、望まない妊娠もないし、
避妊代もかからないし、メリットばかり。
もう子どもを望まないのなら、
子宮を取っちゃうのはアリなんじゃない?
スパっと切り替え
前向きにとらえることのできる女性もいらっしゃいます。
ですが、どこか他の臓器と比較して
子宮を特別視する気持ちがある女性は
珍しくないのではないかと思います。
確かに、女性の生殖能力は賛美されるに値する
素晴らしいものです。
子宮は自分のあるべき姿や
進むべき方向を示すという精神世界の観点で、
非科学的、非医学的といえる主張が織り込まれ
ちょっと行き過ぎた感のある
自己啓発本が書店に並んでいたりします。
生殖器である「子宮」に
神聖性や神秘性を見出すことで、
女性が自身の「女性らしさ」を獲得したり、
生き方の方向性を決めたりする考え方は
ここ最近のブームにもなっています。
その反面で
不妊の問題、なんらかの病気、
さまざまな生活背景によって
産めない女性、意図的に産まない女性もいますよね。
子宮を神聖化するのなら、
産まない女性は価値がなく
産めない女性は機能不全だと認識され
さらに子宮を持たない女性は
もはや女性でさえないのでしょうか。
子宮は胎児を育てるために存在する臓器であり
女性しか持っていないという特別感はあるものの、
・・・よくよく考えてみれば
子宮はただの臓器なんです。
「子宮がなければ女ではない」
というのなら
病気や事故で体の一部を失った人はみんな
もはや人間ではない、ということになりますね。
機能的に失ったものがあったとしても
性別と心は女性であることに変わりはありません。
例えば、
母乳で育ててこそ母親で、
ミルク育児は母親失格!
母乳育児に固執し
ママのあるべき姿を決めてかかって
しまう人たちがいます。
母乳をあげられなかったらママではないの?
そんなはずありませんよね!
母乳で育った子と、ミルクで育った子の
見分けがつかないのと同様に
外から見たときに、
子宮があるかないかなんて
誰にもわかりません。
乳がんでおっぱいを失った場合だって
洋服着てたらおっぱいがないことなんか
誰にもわかりません。
母乳をあげられなくてもママだし、
乳房や子宮を失っても女性だし、
無精子症でも男性だし、
腎臓や胃を失っても人間です・
母乳育児は母親の象徴とか
子宮は女の象徴と固執し縛り付けているのは
もしかしたら自分自身の心なのかもしれません。
縛っているのが自分自身なら
開放するのも自分自身なんですよね。
自分に足りないものばかり粗探しして
嫌いになるのではなく
持っているものを見つめて感謝できたら
いいなぁと思います。
子宮はないけど、手も足もある。
行きたいところにテクテク歩いて行ける!
おいしいものを食べたり
柔らかいお布団にくるまって
幸せを感じることもできます。
呼吸ができて、心臓も動いてる!
嬉しいことばかりですよね!
子宮があるかないかよりも、
女性らしくあり続けるために
内面も外面も自分磨きを楽しむほうが
よっぽど重要かもしれません。
わたしは現在47歳。
平均閉経時期まであと5年ぐらいです。
子宮を温存したまま
閉経を迎える可能性が高いかな、
と思っていますが
23歳から妊娠出産を繰り返し、
21年間ずっと子宮を意識する生活を送ってきたため
閉経を迎えるときには人一倍
未練がましく寂しい気持ちに
なるのかもしれないなぁと思います。
子宮を失っても、おっぱいを失っても、閉経しても
女性でなくなるはずはない!って
頭では理解してても
こういうのって理屈じゃないんでしょうね。
がんばってくれた子宮に対して
しっかり働いてくれてありがとう
という気持ちで、未練の向こう側の世界に
行けたらいいなと思います!





