
孫は格別にかわいいんじゃなかったん?

孫はかわいい、格別にかわいい!
スーパースペシャルデラックスかわいい!
いろんな人からさんざん聞かされてきました。
新米ママに付き添って
ばぶばぶに来られるばあばたちも
口を揃えて
「孫がこんなにかわいいと思わなかった!」
とおっしゃいます。
いやいや、わが子だってかわいいよ。
そのかわいさとは違うの?
「うーん、そうねー
この感じ、なんて表現すればいいんだろね・・・」
えー・・・( ̄^ ̄)
『この感じ』って何。
どんな感じー??
わたしの知っている『わが子のかわいさ』とは
もはや比べるに値しないような
超次元の境地なんだろうか・・・。
自制心を失うぐらいの
ハイパーグレードの心の揺さぶられ方って
いったいどんな感じなのか・・・
知りたい!
でもわからへん!
孫、恐るべしです。
自分が経験したことのないことは、
経験者の話を聞いたりして
想像は膨らむけれど
悔しいことに、
その真髄にはどんなに頑張っても到達できず、
つかみどころのない未知の世界です。
初ママ、24歳のわたし。
「この子を命がけで幸せにする責任がある」
と追い立てられていました。
義務感と重圧に常に支配されていて、
その不安から逃れるために、
とにかく必死で子育てをしていました。
子どもを幸せにするために。
よいママであるために。
寝ても覚めても
ずっと気が休まらず臨戦態勢。
子どもを幸せにしたいと言いながら、
実はよいママである自分を
世間に求めてもらいたいだけだったりもして(笑)
「子どもがかわいいか?」と聞かれれば
確かにかわいいのですが、
なんにもわからないゼロの状態から
試行錯誤で山の頂上を目指すには、
かわいいけど、それだけじゃない。
かわいいけど、たいへん。
かわいいけど、やりたいこともできない。
かわいいけど・・・
子どもに何をされても
無条件に「かわいい」とは正直言えませんでした。
ゆっくりとその想いを噛みしめるゆとりは
なかったと思います。
子どもを持つと、幸せやうれしさと同時に
たくさんの責任も生まれます。
子どもの健康管理に気を配ることはもちろん、
経済的なこと、教育方針、
つい他の子と比べて優劣をつけ焦ってしまったり
悩むこといっぱい。
新米のパパママは、
これまで想像していなかったような壁をいくつも
乗り越えながら子育てをしていきます。
やがて年月とともに子どもの数が増えていき、
初産から18年後の第11子。
「この子を幸せにしたい」という想いや
親としての責任は
あの頃と同じようにあるものの、
ふわふわと穏やかで
伸びきったおっぱい・・・いや ^^;
伸びきったゴムのように
それがプレッシャーになることは
一切なくなりました。
泣きわめかれても、
夜通しグズられ睡眠不足になっても
強烈なイヤイヤにも、
愛情込めて作ったごはんを投げられても、
小さな子たちのすることには
全面的に負の感情は湧いてきません。
「もっとやれー!」あおってしまうぐらいに(笑)
文句なしに「かわいい」と思えます。
子育ての気負いが消えて
気持ちのネジが緩みまくりのわたしは
「この子を幸せにしたいな〜」
とは思っているけど、
何かと戦っているわけでもなく
ただ幸せに向かって
どんぶらこ〜どんぶらこ〜
ゆったりと流れる時間に身をまかせている状態です。
そういう意味では。
11人目の子育ては、
かわいさの骨幹を実感できる余裕があります。
「幸せに」という同じ目標に向かうのでも、
絶えず我を忘れてムキになるのか、
追い風を受けて流れに乗ることができるのかで
こうも違うのかと思うほど、
第5子ぐらいまでの「かわいい」と、第6子以降の「かわいい」は
次元が2段階ぐらいアップしていて、
さらに第8子以降はさらにさらに、
5次元か6次元の世界になり、
第11子にいたっては、
もう、ブラックホール!←?
要するに、
感じる側の心の持ちようなわけですね。
子どものリズムをつかんでいるかどうか、
先の見通しが立てられるかどうかで
「かわいい」の意味は
ずいぶん違ってくるわけです。
幸せにしたい気持ちは、
恐れることではないと確信できるようになったら
ゆるりと平穏が生まれ、
アンニュイなかわいがり方ができるようになりました。
なので、わたしの11人目へのかわいさは、
たぶん番外の物差しで測る
ちょっと違う立ち位置にあるのだろうと思います。
だけど、それ以上のステージで
人知のレベルを超えて
ハイパーMAXかわいいというのか・・・孫ってやつは!
9月のはじめに娘が出産しました。
『孫のかわいさ』という
霧の向こうの人跡未踏に足を踏み入れるべく、
期待に胸を膨らませて
わたしは晴れてばあばになりました。
これでやっと、
新境地が開けます。
ばぶばぶのばあばたちと同じ目線で
心に落ちた話ができるようになる!
孫は突き抜けたかわいさだと聞いている!
孫は目に入れても痛くないらしい!
・・・すごく楽しみにしてたんですよ。
愛する娘の子どもは、
どんな次元にわたしを連れていくのか。
ブラックホールの上を行く世界って
なんじゃらほい。
ですが・・・ん?
ばぶばぶに来てる新生児も、
うちの11人目も、娘が生んだ子どもも
優劣つけがたく同等にかわいいぞ?
なんでだろう・・・。
一般的に、ばあばになる世代は
すでに子育てという長い仕事を終え、
精神的にも、また経済的にも余裕がある立場にある場合が
多いです。
孫には、
子育てのプレッシャーを感じずに接することができるので
自分が子育て中にゆっくり味わう余裕のなかった
子どものかわいさを存分に実感できるのだと思います。
厳しいしつけなどは
ママに任せておけばいいわけで、
ひたすらかわいがれるのは
ばあばならではの特権なんですよね。
かわいい孫の姿を見て
自分の子どもが幼かった頃のことを思い出す人は
とても多いようです、
孫に遠い日の我が子の姿を重ねることで
ますます愛おしく感じるのではないでしょうか。
また、自分が子育てをしていたときには
ゆっくり遊んであげられなかった、
贅沢なものを与えてあげられなかったなどの
心残りを、孫をかわいがることで果たしたい
という心理もあるようです。
子どもの成長はあっという間。
子育てを経験したじいじばあばは、
それが身にしみています
だからこそ、かわいい孫の一挙一動に
かけがえのない愛おしさを感じるんですって。
そうか〜。
わたし、今子育て真っ只中だもんなぁ。
ちっちゃいほうから数えると
2歳、5歳、6歳、10歳、12歳・・・
育ててる最中なんですよねー。
精神的には、かわいさを味わっていますが
時間的余裕はないし、
無責任にかわいがるってわけにもいきません。
うちの11番目と、娘の子は
2歳10ヶ月差。
だいたいこれってフツーに
きょうだいの年齢差やん?(笑)
そもそもわたし、
ついこないだまで授乳してたしなぁ。(笑)
かわいい孫の姿を見て
自分の子どもが幼かった頃のことを
思い出せないです〜。
遠い日の我が子の姿を孫に重ねられません。
だって、遠い昔の甘辛い思い出じゃないもん。
子育てしてた時代は
わたしにとってぜんぜん遠くないねんもん。
〝じゃすとなう〟
なんやもん(笑)
孫のかわいさに気づくには
わたしはまだ未熟すぎたようです。
敷居が高すぎたー。(^_^;)
くっそぉ〜〜〜!
ばぶばぶのばあばと同じステージに
わたしはまだ立てんのかー!
くっそぉ〜〜〜!





